漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

大家さんと僕

少年漫画、少女漫画、青年漫画等々、漫画は対象読者の年齢別に分けられてきた。
読者が感情移入できる主人公が求められるため、少年漫画の主人公は少年が大部分、少女漫画の主人公も少女が大部分…と、読者の年齢に近い主人公が描かれてもきた。


今や少子高齢化社会を迎え、老人を主人公にしている漫画も増えてきている。
しかしこれらの対象読者は、老人とは限らない。
厳密な意味で老人を読者に選んでいる漫画というのは、まだ描かれていないのかもしれない。


手塚治虫文化賞を受賞し、作者が芸人である話題性(珍奇性?)も加わって、30万部以上も売れているという『大家さんと僕』。

この漫画の対象読者は、一体どの層なのだろう?
感情移入できるとなると、大家さんのような(と自分を考えている)老女、あるいは僕のような(と自分を考えている)成人男性か。
実際には若い女性にも受けているようだから、芸人に関心のあるミーハー読者も多いのかもしれない。


多くの人が口をきわめて絶賛しているため、異を唱えるのは難しいが、私は最初にこれを読んだ時、
「へたうまだ」
と思った。


私には、絵が下手に見えるのだ。
私が「うまい絵だ」と思ったのは、同様に老人が出てくる作品では断然、
『ペコロスの母に会いに行く』である。

これはまさに私が考える漫画の「うまい絵」であって、他に評する言葉はない。
死に向かっている老女をこんなに可愛く描いた絵には類がなく、「名画だ」と思う。


ところが。
『大家さんと僕』を読み進めていくうち、「絵が全然うまくならない」ことに気がついた。
絵は、描けば上達していくものである。
一冊の漫画の初めと終わりでは、見た目が大きく異なるものなのだ。


で、改めて考えたのだが。
「もしかすると、大家さんと僕の絵は、うまいのかもしれない」


私は絵の専門家ではない。
実は、絵のうまい下手など、とんとわかっていなかったのかもしれない。
こう考えざるをえないことは、私にはかなりの苦痛だった。


私の基準にピタリと合致するペコロスの作者(岡野雄一)は、私と同じ1950年生まれ。
すると、見てきた物、見てきた漫画が私に近いことが考えられる。


大家さんの作者(矢部太郎)は、1977年生まれ。
ああ、私より30年近くも若いのだ!
するとセンスも若く、若々しい視覚で描いた、うまい絵なのかもしれない。


そう思って、『大家さんと僕』を読み返してみたら、キャラクターの表情が的確に描かれていることや、デフォルメの仕方の魅力もわかってきた。


大家さんはいたって上品な人。
しかし「僕」も上品である。
「大金持ちの老未亡人と、売れない芸人の、ペーソス溢れる同居生活」なんて、パリが舞台の話でも良さそうである。
(本当は新宿区)