漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

魔夜の娘はお腐り申しあげて

『魔夜の娘はお腐り申しあげて』 山田マリエ


前回に続いて脱線します。
どうもすみません。


『アオイホノオ』も『アシさん』も読んでますが終わりません。
次回にはなんとか。


この『魔夜の娘はお腐り申しあげて』は今年の11月19日付けの発行。
(今日ですわ!)
なので、ちょっと書いてみたかった。
マイミクのおみなへしさんのご紹介でした。
おみなへしさん、ありがとうございました!


作者は『パタリロ』の魔夜峰央のお嬢さん。
当然、父の魔夜も顔を出す。
ただし作者は当人も言うとおり割と普通の人かと思う。
エッセイ漫画の良作をものにするほどには内面がまだ成熟していない、というべきか。
内田春菊クラスのパワーが感じられるモノカキではない気配がする。


どういうことかというと(言い換えると)、常に「あの(ひどい)パタリロの漫画家が父で」という意識があり、そこから離れられていない。
「あの魔夜にしては」か、「やはりあの魔夜の子だけあって」のどちらかだ。


タイトルからして魔夜の娘を売り物にしている。
絵柄もいたって素直。
うまいが個性的ではない。
むしろ父の絵のほうが下手かな、でも父のほうが目立ちはするかな、と思った。


「お腐り申しあげ」の箇所は当人が腐女子であることを言っているのだが腐女子って今どきは珍しくないのでしょう?
腐女子たることを奨励する親(魔夜)は珍しいとは思うが。
それでも危険視するほどではない。


私の頃にはBLは「ヤオイ」といった。
(私は、山なし、意味なし、落ちもなし、の略だと当時の友人から教わっている)
少年漫画好きの私は、自分では「もしかすると私って、他人からヤオイ好きと見られている?」と危惧していた。
が面と向かって「あんたヤオってる?」と言われたことは一度たりともない。


えらく誤解されるのは「男好き」に、である。
mixiに殿(メカデザイナー板橋克己)のコミュを立てたとき、「板橋さんを独占したくて出てきたバカなエロ婆あ」と噂された。
今考えるとそれも無理からぬことではあった。
SFメカというのは男の中の男(男の子の中の男の子)の趣味であってその群れを女がリードするなどは非常に非常にまれ、珍事だったのだ。
(小澤さとるには「日本で二人」と言われた。
『サブマリン707』という海洋冒険漫画のリアルタイマーの女は、国内には私以外には一人しか存在しない、という話だった。
その一人のかたには是非お会いしてみたいがご存命なのだろうか)


純粋な少年漫画ファンだといくら言っても男たちは信じず、女性陣のほうがわかってくれた。
男の領分に女が侵入してくると男らの目には「男あさりに来た」としか見えないようだ。


私はどちらかというと人間嫌いのほう。
男も人間の一種なのだからそれをあさったりはしない。


ヤオイ好きには間違えられてみたいと思うのだが。
そして「ホモは好きではありません」と言ったりしてみたいのだが。


他人の趣味はどうでも構わない。
男どうしがツルんでナニしたのどうしたの、というのは性的なファンタジー(要するに一人Hのおかず)でありましょう。
そういう漫画や小説を読もうとは思わないし、描こうとも思わない。
同好の士も求めない。


押しつけられれば拒否するだけ。
逆にタブー意識もないので、「まあそっちで適当におやんなさい」と言うまで。


従ってこの『魔夜の娘はお腐り申しあげて』も、凡作です、という評価しかできなかった。


いらないことかもしれないが、ただひとつ付け加えるとすれば。
作者山田マリエの絵は(古いが)わかりやすい絵なので、原作つきならば売れる作品が描けると思う。