漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

重版出来(3巻)

『重版出来』(3) 松田奈緒子


昨日は眼科で緑内障の定期検査。
待ち時間が長かったためこの漫画を持っていった。
視力も測ったけれど、なんと1.2
これなら裸眼で自動車の運転もできる。


緑内障のほうは悪化はしていなかったがそんなに良くもない。
右目の下半分の視神経束が薄くなっている由。
「ああ、だから階段を降りる時に怖いのね」
と思った。
見えない、という自覚はない。
(視野の一部が消えている実感はない)
左目で補うことができるからだ。
階段を上がる時には視野の上半分を使うが、降りる時には下半分を使う。
つまり見えているようで実は見えていなかったということ。
「足元が心もとない」感じがしたのはこのせいだったのだ。


運転免許の更新時には視力の測定はするが緑内障の検査はしない。
視野の欠けた人が運転するなんて聞いただけでも恐ろしい。
当人の自覚はほとんどないので検査は必ずしてもらいたいものだ。


で。これからが本論。


この本(第3巻)から、「新人の持ち込み」が出てくる。
出版社の漫画誌の編集部に自作の漫画を持ち込んで見てもらい批評をもらい、あわよくばデビューにつなげようとする人たちのことだ。
漫画家の立場から描かれた『バクマン!』にも持ち込みをするシーンがあった。
本書は編集者目線だからちょうど裏返しになる。


タイプの違う「持ち込み」が何人か登場するのだがいずれもひと癖あり、今後どういうふうに成長するか、という引きが生まれている。


私も若い頃にはさんざん持ち込みをした。
地方から上京した漫画友達を出版社まで案内して、ついでに付き添い(同席)をしたことも何度かある。
作者(松田奈緒子)も持ち込みのベテランだったということだ(と後書きに書いてある)。
新人賞を取るまで持ち込みをし、取っても持ち込みは続けなければにならない。


創作をやらない人がこんな経験をすることはない。
でも私はあらゆる人が一生に一度はやってみるべきだと思っている。
他人に目の前で自作を批評されるプレッシャー。
編集者が無言で作品を読んでいる時、待っているつらさ。
味わっておくと、人間、強くなる。


慣れればプレゼンに過ぎないのだが。
そう思えるところまで行けば、たとえ漫画家になれなかったとしても別の道を切り開いていく勇気が備わると思う。
(『刑務所でマンガを教えています』的に言うと、物事に対する姿勢を養う。
持ち込みも座禅の代わりに使えるのだ!笑)


自分の中味(内的世界)のありったけを注ぎ込んだ創作が何と言われるか。
好きな人にコクる緊張や、面接試験とはまた違う(全然違う)。
私はコミケに出たことはないが、コミケで本を売るのとも当然違うだろう。


学生時代のテストはいやだったが、イヤこれに比べりゃたいしたことはないですよ。