漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

谷岡ヤスジ

昨日の記事に関連して、ヘタウマについて調べていた。
実を言うと私は、松本零士もヘタウマの一種だと思っていた時期がある。


トキワ荘出身の漫画家や松本零士は、手塚治虫の模写をとことんやって漫画家になった。
影響というような、生易しい物ではない。
彼らの初期作品を見ると、手塚作品そのものである。
そっくりである。
キャラも描線も、ストーリーもテーマも。


しかし沢山描くうちに皆が皆、手塚調から離れていった。
それぞれの個性が芽生え、一目でこの人の絵だ、とわかる絵に育っていったのだ。


漫画マニアになりたての頃の私は、熱狂的な手塚ファンだった。
その当時、私が「うまい」と思っていた絵は、個性がありながらどことなく手塚臭を感じさせる絵だったようだ。


今でも幾分その傾向は残っているな、と昨日、ペコロスの絵を見て思った。
丸っこく可愛い感じ、つるんと滑らかな描線などに、(私の考える)手塚臭が漂っている。
手塚臭があると私は安心し、ころりとまいるらしい。


手塚臭を失った時の松本零士の絵は、(私が感じただけかもしれないが)デッサンも狂い、ほぼメタメタに変わった。
だがそこに強烈な魅力があり、松本調というのが以後、確立する。
それは、私から見れば、へただがうまい。
すなわち「へたうま」と呼ぶしか表現のしようがない絵だったわけだ。


今、ヘタウマをネットで検索すると、さまざまな絵描きの名が引っかかってくる。
松本零士の名はもちろんなく、なくてもおおいに結構であるが(笑)、この人が出てこないのは不思議だなあ、と思う漫画家が一人いる。
谷岡ヤスジである。



谷岡ヤスジ - ヤスジのオラオラ節


ウィキペディアより】
谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 - 1999年6月14日)は、日本の漫画家。愛媛県宇和島市出身。赤塚不二夫と並ぶ日本のギャグ漫画界の巨匠と言われる。本名、谷岡泰次(やすつぐ)。元プロ野球選手の谷岡潔はいとこにあたる。
1959年、保善高等学校在学中、『中国小学生新聞』(中国印刷)に掲載された『やっちゃん』でデビュー。その後、わちさんぺいのアシスタントを経て本格的に活動する。



宇和島市出身の有名人リストにも出てこないが、漫画マニアとしては忘れられない人だ。
ギャグ漫画の巨匠、真の天才と讃えられたこともある。
何よりも(私にとっては)、ミスター・ヘタウマなのである。


宇和島の人々よ。
谷岡ヤスジが地元でどんな子供だったのか、(完全に忘れ去られないうちに)調べてほしい。
そしてこの人を生んだ郷土を、是非とも誇ってくれたまえ。