漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

男の条件 感想の3

なぜこんなに笑われるようになってしまったのか。
考えてみると私の周囲ではベルばらも笑われていたし、エースをねらえなんかも凄まじく笑われていた。
「バクマン。」で言われているようにシリアス(真剣)度が高いほど笑われる。


同人誌の時代が来てパロディが制限なく描かれるようになると、「何でも笑っちゃえます」な無差別攻撃、大盤振る舞いの状況になるのだが、それでもやはり糞真面目な物のほうが笑いやすかった。


私は少年ジャンプの内情は知らない。
マガジンのことが一番よくわかる。
「巨人の星」「あしたのジョー」のヒットから何年間も、マガジン編集部にはジョーの幽霊がうろうろしていた。
(うちは男で売る本、男でやってく方針です、みたいな)
それで思うのだが。
梶原流の「男」に終止符を打ったのは、もしかするとこの漫画かもしれない。


「男おいどん」 講談社出版文化賞
※1071~1973年


私のブログを読んでくださっているのは大半が松本零士ファンらしいので、ひっじょ~に書きにくいのだが。


正統的な手塚派、可愛い可愛い可愛い絵の松本あきらが、一体どうしちゃったのぉー?と、連載開始時に思った。
なんなのよーこれー????
なんでこの人まで「男」なのぉー?


あくまで想像なのだが、おそらくこれもジョーの幽霊のせいだったのではないだろうか。
ジョーの霊を背中に貼りつけた編集者が、
「おひけえなすって。
今度の連載は、ぜひとも男でお願いいたしやす!」
と、依頼したのでは?


ところが手塚派はもともと梶原節とはそぐわない。
(梶原一騎の独特の台詞は浪花節に似て、梶原節と呼ばれた)
初期の手塚漫画はのっけから人類滅亡、地球まるまる廃墟というSFで、この影響を受けて出てきた人が、すなおに熱血感動を描くわけがない。


「情けないけど男です、情けないのが男です。
笑ってください、笑われたくはないけれど」
というキャラクターを描いた。
それが読者の共感を得てしまい、マガジンを読んでいても梶原節の臭さに耐えなくて良いんだ、という気分を生んだ。
と、思うのだ。