漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

漫画家マンガについて(1)

漫画家マンガをきわめようなどという野心はないのだが、思い起こせば「絵描きは何を考えているのか」には幼少の頃から関心を持っていた。
忙しかった両親の代わりに祖父母に育てられ、図体ばかりデカイぼーっとした女の子になった私は、幼稚園に行く日が来て、「じゆうがちょう」という物に出会った。
大判の薄い画用紙を綴じたスケッチブックのような物。
これに他の園児たちはパステルで喜んで絵を描いていた。
せんせいに言われては絵を描き、言われないでも描く。
雨の日には園庭に出られず、そんな日にはほとんど一日中描く。
何でそんなことをせにゃならんのか、私にはわからなかった。


せんせいに、
「好きな色は何?」
ときかれる。
色は色なので、好きも嫌いもない。
(三角と四角とどっちが好き?ときかれても答えられない人がいると思うが、それと同じこと)
他の子が横から、
「桃色と水色」
と言う。
で私も、
「桃色と水色」
と答えてみたりした。


絵を描くことが一種の遊びになっている子がいることを、その時初めて知った。
いや一種の、どころではなく、遊びといえばそれしかしない子も。


そういう子は幼稚園のみならず路上にもいた。
自動車など珍しい時代、大通りには馬や牛がひく荷車が通っていた。
路上画家は、さすがに大通りには少なかったが、路地の中にはやたらといた。
ローセキという物で線画を描き、長時間かけて地面を白く埋め尽くす。
何が面白いんだか?と私は思い、その時の気持ちが今から考えると漫画家の頭の中への好奇心に変容していったように思う。


さて。
漫画家マンガにもさまざまな種類がある。
少年漫画、少女漫画などという普通のジャンル分け以外にも、
・長編、短編(4コマを含む)
・自伝、他伝
(アシ目線の作品は先日のブログにも書いたが、「フイチン再見!」は他伝のカテゴリーを代表する作品だと思う。
※描いた漫画家、村上もとか。描かれた漫画家、上田トシコ。
手塚治虫は数人の漫画家に描かれている)
・フィクション、ノンフィクション
(「バクマン。」「男の条件」はフィクションである)


ちょっと問題なのは昨日取り上げた「男おいどん」も自伝的作品と言われていることだ。
実際に体験したことを描いているからだという。
しかし創作には作者の経験が多かれ少なかれ混入するものであり、これらすべてを自伝と言ったらノンフィクションの立場がない。


「男おいどん」は漫画家を主人公とするものではないので、漫画家マンガからは除く。
だが「男の条件」と対比させて言いたいこともまだある。
なので「男おいどん」についてはまた触れたい。