劇画漂流(下)
『劇画漂流』 辰巳ヨシヒロ
いまだに「漫画は子供が読む物」と言う人がいる。
子供にもわかり、誰にでも読める…
そう言う人はたぶん書店に行ったことがないのだろう。
(そもそも何かを読むという習慣を持たない人なんじゃないか?と私は疑う)
その人に、では書店で自分の力で児童漫画をみつけてきてください、と言ったら、みつからないだろう。
その人はまた、今のコミックスを一冊読みきることもできないだろう。
誰にでも読めると言ったはずの物を…
少子化のあおりを受けて純粋な児童向けの漫画は激減している。
書店のコミックの棚に並んでいるのは中・高校生から成人向けの物だ。
(まだ少ないがシルバー漫画まで出ている)
漫画が本当に「子供しか読まない物」だったのは60年代の初めまで。
その頃に比べて今の漫画のテクは著しく変わっている。
60年代以前の印象を今も引きずっている人にはきっと漫画は読めない。
かつては(私が子供の頃には)漫画は大人になればサヨナラする物だった。
私よりちょっと年上の人たち(団塊の世代)が大人になっても漫画から卒業せず、私たちもそれを見習った。
私は、
「漫画は私と一緒に育ってくれた」
と思っている。
(少年マガジンで『巨人の星』の星飛雄馬が私立青雲高校に入学した年に、私も高校に進学した)
漫画の中には常に私と同世代のキャラクターがいた。
漫画の対象年齢を引き上げるのに重要な役割を果たしたのが、本書で語られる「劇画」である。
今回読んで初めて知ったが(あとがきに書いてある)、本書は日本より海外で売れたらしい。
私(貸本屋漫画を愛読した最後の世代)には本書の世界が実感としてわかる。
しかし海外の人にはてんでわからないと思うのだが、なぜ(どこが)受けたのだろう?
貸本屋のうす暗い店内ではいつも数人の子供が立ち読みをしていた。
貸本漫画を私たちは単行本と呼んでいた。
単行本は借りる物、雑誌は買う物だった。
本書に出てくる短編劇画誌(単行本)の「影」「街」は(要するに殺し屋が出てくる漫画だったので)下品な感じがして、私は借りなかった。
やがて貸本屋が大挙して潰れる時が来る。
貸本屋は単行本を店の外のワゴンに置いて売った。
私も多少買ったので、今も家のどこかに殺し屋劇画があると思う。
木造アパートの狭い部屋で、畳の上に置かれた座机に向かって描く。
近所の店の女将がやってきて主人公にしなだれかかる。
夏は暑くて半裸で描く。
寅さん風の腹巻をし、雪駄を履いた(怖い)出版社社長が上目使いに人をにらんで怒鳴る。
そんな昔の日本の情景が海外の人にはエキゾチックに見えたのだろうか。
私は辰巳ヨシヒロの絵はまったく好かない。
なにしろ主人公の顔が中学生の頃からすでにオッサンしていて、あか抜けない。
それでも劇画の歴史はこれでもか、というくらい詳細に描かれているから、ウンチクを言いたい向きには必ず読んでもらいたい書物ではある。
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