漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

かくかくしかじか 感想の2

『かくかくしかじか』のコーチ(絵画教室の先生)は能書きは垂れない。
ただひとつのことしか主張しない。
いろんなことをしはするけれど教えは結局ひとつだけなのだ。
後に主人公はそれが漫画家(絵描き)にとってイノチ(最重要なこと)だった、と知る。


その点がまずもって男谷草介との最大の相違点かな、と思う。
男谷草介も「先生」もまぎれもないスパルタ教師。
しかし梶原一騎は絵描きの心得よりも男の心得を説いている。
これはかなり抽象的なもので、それゆえ漫画家コース以外の人生にも応用が効く。


いっぽう『かくかくしかじか』の「先生」はひたすらに一直線に、主人公を絵描きにしてくれようとする。
その言葉は人生訓などではない。
絵描きの道を選んだ人にしか役立たない。
純粋な「絵を描くこと論」なのだが。
しかしその主張の激烈さ真摯さが読者の胸を(絵を描こうとする人以外の胸をも)打つ。


私は『かくかくしかじか』の中の台詞で、『男の条件』が笑われてしまう理由を再認識した。
現代においては(『かくかくしかじか』が描かれたのは2012~2015年)、「すげー努力したのって、ちょっとカッコ悪い」「スポ根とか、ダサいよ」という空気が蔓延している、ということなのだ。


主人公もそう(努力するよりテキトーに)したがっていた人なのだが、最終的にそんな自分を「バカだー」と感じる。
後悔し恥じて机に頭を打ちつける。


つまりこれ(努力根性を否定していた自己の否定)が『かくかくしかじか』のテーマであり、従ってこの漫画もある意味、根性漫画なのである。