漫画家マンガの世界

漫画家を主人公にしたマンガ「漫画家マンガ」を語ります

バクマン。感想の4

さて私は先日、
漫画原作とはネームである、ということになった時代の漫画が「バクマン。」なのだ。
と書いた。
そしてこれが、画期的なことである、とも書いた。


「バクマン。」の時代が来る直前、原作の書き方は小説体、シナリオ形式、ネームが混在していた。
ここまでの状況は、私もよく知っている。


小説家は小説のように原作を書いていた。
※梶原一騎が代表格


脚本家はシナリオを書き、漫画家崩れはネームを描いていた。
※私の師匠辻真先を、シナリオ形式の使い手の代表格に挙げる
※漫画家崩れについては後述


ネームとは何かというと、漫画の下がきである。
だから文字ではなく(一部に文字も含まれるが)、基本は絵であり画稿だ。
本に印刷する場合は、漫画同様の版を用いなければならない。


すると。
「原作イコールネーム」の世になり、ネームが小説体やシナリオ形式を駆逐するや、漫画原作業界(そんなものあるのかどうか知らないが)から、文が消える。
原作は文芸ではなくなってしまったのだ。
これが事件でなくて何だろう。


また脳医学の観点からも恐ろしいことが起こった。
(と思う)


かつてストーリー作りのうまい人は「小説家みたい」と言われたものだ。
脳の、言語をつかさどる場所は左半球。
ストーリーは「脳の左側」で作られている、と考えられていたことになる。
(たぶん)


だが、ネームでストーリーを創作する人が大量に現れると、ストーリーが作られる場所は「脳の右側」、といわれることになる。
はい。絵を描くことをつかさどっているのは右脳ですから。


医学・生理学者の研究を待たなければ私ごときが何ともいえないが、50年前の原作者と今の原作者では、脳の使い方がまるきり違う。
と、いうことになると思う。
これが画期的でなくて何だろう。